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日本の装身具ハンドリングゼミ 第14回

ここでは、会員のゼミでの感想や気づいた点、意見、お寄せいただいた図書資料情報などを掲載します(順不同)。


青木 千里 さん

今回ののハンドリング作品はどれもずっと眺めていたくなるような見応えのあるものばかりで、堪能いたしました。
指輪を集めるのは本当に時間も、努力も資力も必要なのがわかるので先生のご苦労をお察しいたします。
ありがとうございました。

国立国会図書館のデジタルライブラリーに昭和12年発行の『全国業界マーク大鑑』という本があります。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055204

ハンドリング作品8番のオニキスの指輪に打たれているメーカーズマークはこの大鑑のコマ番号19下段に載っている「協進社」の水鳥ではないかと思うのですが。
いかがでしょうか?


植田 友宏 さん

今回は大正〜昭和初期の指輪が研究対象でした。日本はジュエリーの輸入が本格的に始まるのが宝石類、ダイヤモンドの全面的輸入自由化された1961年頃からですので、ジュエリー史は半世紀程の浅い歴史、と言う印象が強いと思いますが、改めて見ると大正〜昭和初期の日本のジュエリーは素晴らしい!と思いました。

ジュエリーの価値は「素材」・「デザイン」・「つくり」の総合的なバランスであると考えますが、この時代は良い素材を輸入出来なかった事もあり、ルビーやサファイアは合成だったり、ダイヤのカットも良く無かったりするのですが、「つくり」が素晴らしいです。当時の職人の技術レベルの高さを感じますし、真面目につくられています。型で生産されるようになったのは1953年からですので、この時代のものはほぼ全て手作りです。

明治時代は西洋ジュエリーの模倣で始まりましたが、大正頃になると、日本独自の美意識や技術を反映したジュエリーが出て来ます。石の留め方も「ネジ梅」や「菊爪」「桔梗爪」「猪口留め」等の和留めの名称が増えて来ます。

戦時中にプラチナや金、そしてダイヤモンドの政府への供出があり、大正時代の日本のジュエリーは殆ど残っておらず、本当に貴重です。

是非お客様にもご自宅の宝石箱を「アンティーク的価値」や、違った視点でご覧になって見る事をお勧めしたいと思いました。


山崎 真紀子 さん

今回は初めての指輪ということで、これまでの櫛や簪などに比べると身近なものではありましたが、それだけに現代のものとの違いが強く感じられました。
手に取らせていただいて、今のものに比べると非常に軽く金属も細いものが多いことに驚きました。
特に4番の捻梅のものは繊細でかわいらしく、ほしくなりました。
8番の菊爪のものもまた美しく、日本独自の文様から発展させていながら洋風の装身具として違和感がない素晴らしいデザインの留め方が多く考案されたことも良く分かりました。
それだけ指輪が多くの人に使われるようになったということだと思います。
一方、22、23のような純金の抱き合わせ爪のものはずっしりと重くぶあつく、全く違うもののようでした。
そして24〜26の戦時中の代用金属のものの光沢や色の鈍さや作りの違いを感じ、その時代について今までよりもう少し実感できたように思います。
やはり重さなどの微妙な感じは見るだけではわからず手にとって初めてわかるものですので、このハンドリングゼミでは本当に貴重な経験をさせていただき感謝しております。
今回はさらに指にもはめさせていただけたので、はめたときの見え方や感触の違いも感じられました。
刻印もいろいろとおもしろく、細かく複雑な柄が彫ってあるものもあり、夢中になって見ていました。
(後で気が付いたら目が疲れてくらくらしたくらいので、次回は目を休めながら見ようと思います。)


角元 弥子 さん

今回は、複雑な社会事情のなか今日まで残った貴重な品物をハンドリングさせて頂き、ありがとうございました。

明治以降の日本ジュエリー史は、西欧文化受容の歴史の一部だと思っていたのですが、日本製にしか見られないという「ねじ梅」は優雅さとシンプルさを極めていて、素晴らしいソリテールのセッティング方法でした。 倣古のデザインを見かけないのが不思議なのですが、何か理由があるのでしょうか。

露木先生が仰っていたとおり、全ての指輪がそれに合わせる衣服(高価な和服)に引っかかりにくい構造になっていました。 
爪の形や数、指輪の腕から爪まで一体感のある形状など、仕事の質が高いのはもちろんの事、何より当時の日本女性の装いが要求するデザインの条件だったのかなと想像します。

そして、21世紀の装い、21世紀のライフスタイルが必要とする指輪ってどういうもの? と改めて考えさせられました。

次回も楽しみにしております。 どうぞ宜しくお願いいたします。


河西 志保 さん

今までハンドリングゼミで櫛・簪を拝見してきましたが、時代と共に女子の洋装化の服制から本格的な日本製ジュエリーの幕開けとなった事がわかります。大正前期のアールヌーヴォー、末期のアールデコ。アールデコの幾何学的なモチーフ及び反復、最大の特徴はカリブル留めにしてダイヤとのコントラストを強調していた時代の物が今回は拝見でき、大変新鮮でもあり懐かしくもあり、とても古い母からの話を思い出し納得がいくことができました。
母の実家は1905年創業の甲府のメーカーです。祖父は白牡丹に職人として修業に出ていたこと、戦時中軍事工場であったこと、合成ガラス、合成ルビー・サファイア(シンセティック)などはあの時代はそれがルビー・サファイヤと言っていた。今なら問題だがと。輸入が解禁になり本当のルビー・サファイヤなどが入ってきた時、それまでの合成ガラスをメーカーは処分したのです。昭和40年代ころから祖父の家の裏庭に山のようにあったことに納得。自分のお友達にプレゼントしていました。
この話を母にしましたら、捨てられずに持っていたものをもらいました。(写真添付)
大したものではありませんが甲府メーカーの昔の商品です。機会がありましたら露木先生に観ていただければ幸いです。
また、私はジュエリーのコーディネートを伝えようとレッスンをしていますので、この頃はどのように身に着けていたのか興味がありました。華宵のおしゃれ教室という本から、高畠華宵の絵でこの時代のも指輪の話が載っています。このころも指輪は女性の憧れの贅沢品でした。宝飾は人気を集め、両家のお嬢様の中指にはルビーの指輪が写っています。また、華宵の絵を見ても「指輪は片手に1個とされました。特に若い女性はそれぞれあまり大きくないものをあっさりと1つつけるのがおしゃれで、片手に2つ、3つもはめるのは俗っぽく成り金じみて下品とされました」と書いてあります。
また、先生のご本のP133にもございますが 、ロングネックレスをしています。「ファッションアイテムに欠かせないもので、ウエストの位置より下に来るような長くしばしば幾重にも重ねて使われた」と。華宵の絵にもパールのロングネックレスの重ねづけがあります。先生の写真は水晶のロングネックレスでこの時代に人気があったとあります。今後コーディネートレッスン会の時お話させていただこうと思います。重ねづけもロングネックレスを薦めている私なので。
このような機会を頂き大変光栄です。祖父母がどんな時代を生き仕事してきたか、またその時代にどんな身に着け方をしていたのかもっと調べたいです。本当に有難うございました。次回も楽しみにしています。


山岸 昇司 さん

先日は貴重な指輪を鑑賞させて頂きありがとうございました。

番号1と2の丸嘉さんの指輪には感動しました。

番号1 色のよい小粒のエメラルを揃えるのは当時としては極めて難儀であったことでありましょう。
もう含浸されていたオイルもすでに抜けているでしょうからこの色は本体の色です。
ですからなおさら感動したのです。当時の日本は低品質石のマーケット扱いされていたわけですから。
新品とのことでしたがエメラルドを留めている枠のミルが一か所崩れていたのが不思議でした。
露木先生より「前に見た時には1つ石が抜けていたんです。石を探して入れたそうです」とお聞きし納得できました。
一品手作りで、職人さんの腕前も大したものですが惜しむらくは裏から見た時にバリがそこここに見られたのは残念なところです。

その点では番号2の指輪は秀逸です。アールデコ調の意匠でダイヤモンドもテリのある石で作りも良く、裏を表にしてもいい位の手が入っています。
指なじみも良く仕上げの良さが感じられました。ただただ惜しむらくはサファイヤが合成石というのが残念なところ。当時は今と違い合成石にも市民権があったことを感じさせます。

総じて時代を超える品格を感じさせる2点でありました。

番号10の養殖真珠は無穴とのこと。当時は貴重品ゆえ孔を開けることさえはばかられたのですが今では大事にするどころか孔をあけることに躊躇はありません。
養殖技術の進歩によりもたらされた大量生産粗製乱造のサガと言えます。真珠は劣化が進みますから残念なことにこの珠にも無数にヒビが見られました。

番号19 服部マーク入り合成ルビー指輪 当時の人々は傷一つ無いこの赤い宝石に大いに魅力を感じていたことでありましょう。

そこえいくと番号17のシトリンはファセットエッジが擦れていて、長く身に着けてお使いになられた事がうかがえます。それにもかかわらずWGのフープに歪みが無く、WG素材の強さが実感できました。

番号28 9金ガラス指輪、高島屋デパートの刻印入り、は当時の時代背景を露木先生よりお聞きしなければ理解のできないモノです。
この指輪の存在の裏には日本の社会事情が大きく影響しているのだということを教えて頂きました。

番号24、25 文字入り指輪、日本版ポージーリング。輪の内側に思いの文字を刻み、場所を取らず、人にも見られず、身に常に着けることができるアイテム、まさしく指輪の真骨頂を見た気がしました。

なぜ日本においてこのアイテムが消え去っていたのか不思議です。紫式部愛用のラブリングとか徳川家康の験担ぎの指輪とかあったらなんと痛快なことでしょう。


小宮 幸子 さん

常々、身につけている当人が一番楽しめる装身具は「指輪」だと思っていたので、今回のハンドリングではその考えを強くしました。周りの方々もそれぞれの指輪をはめては、楽しそうに眺めたり、感想を話したり、今までとはまた違った盛り上がりを感じました。

現代の海外ブランドが手がけるジュエリーなどと比較すると、全体的に華奢で小振り、一見すると地味な印象を受けました。ですが実際には、セットされているのがごく小さな真珠やダイヤであっても、石座は繊細にデザインされ、華奢な腕は指なじみ良く丁寧に作られており、リング全体がバランスよく細部まで考慮されていることがわかりました。指輪のサイズは小さいもの(#9位でしょうか)が多く、当時の女性は小柄で手も小さい方が多かったように見受けられ、これ見よがしではなく、上品に着けていた姿が想像されました。

今回の作品の中では、アールデコ調の1. ダイヤ・エメラルド・プラチナ指輪、2. ダイヤ・合成サファイア・プラチナ指輪に端整な魅力を感じました。

また、4.「ねじ梅」ダイヤ・K18・プラチナ指輪、8. 「菊爪」パール・K18指輪の石座の作りや、11. ヒスイ・ホワイトゴールド指輪、20. スピネル・K14ホワイトゴールド指輪に見られる彫りは新鮮でした。現在のデザインに復活されてもよいのではないでしょうか。

合成金属、サンプラチナムの存在は今回初めて知り、実物を拝見させていただきました。べっ甲に似せた擬甲や、サンゴの模造品である明石玉があったことを思い出しました。今と比べ物の少ない時代、人々の需要に応えるために作られ、流通していたのだと思いますが、貴金属とはかけ離れたあまりの軽さに驚きました。


寺脇 友紀 さん

今回初めて参加させて頂いた、寺脇と申します。様々な年齢・ご職業の方々に囲まれ、大好きなジュエリーについて学ぶことができ、貴重な作品に実際に手を触れられて、始終感動し通しでした。

今回一番感銘を受けたのが、サンプラチナで作られた3点の指輪です(No. 24〜26)。日本の歴史について学んだことがなく、恥ずかしながら今回参加をするにあたって、初めて大正〜昭和初期の歴史を勉強致しました。戦争の際にプラチナや金など、効果な貴金属が国に没収されてしまい、大切なジュエリーをサンプラチナで代用したことを知りました。

特に印象的だったのが、No.24 の、正子さんの指輪です。「金ヲ献ジ之二変エル」と記されており、日付も一緒に記されています。きっと大切な結婚記念の指輪を泣く泣く国に献ずる際に、サンプラで指輪の痕跡を残したのだろう、というお話でした。実際にはめてみると、指輪のサイズはかなり大きく、17号はあったのではないでしょうか。大きさから、きっと正子さんは農家のお嫁さんで畑仕事により指が太く、決して裕福ではない暮らしで苦労して買った大切な高価な指輪を献上したのかもしれない、という推測が上がりました。大切な大切な指輪を献上した想いを感じ、とても切なく、同時にサンプラの指輪に愛おしさを感じました。

アクセサリー、特に結婚指輪など常日頃から身につけるジュエリーには、持ち主の魂の一部がこもると思います。今回たくさんの貴重な指輪をみて、実際に触れさせていただき、ジュエリーと人との心理的なつながりを感じることができました。


さいとう まちこ さん

個人的な話となり恐縮ですが、以前、夫の祖母(大正生まれ)のものだった18Kの指輪をもらい受けまして、そのデザインについて、どういったものなのだろうと長らく気になっておりました(写真添付 0102)。今回のゼミに参加させていただき、ハンドリング作品の12番、13番の系譜に連なる物だと推測ができ、大変嬉しく、感激いたしました。

私の手元にある指輪は、だいぶ庶民的なものではありますが、日本の装身具史が、確かに私の身近にも息づいていたのだと実感し、感慨深い日となりました。もうひとつ、アメシスト?のような18Kの指輪も同時にもらい受けておりまして(参考写真添付 0304)、両方とも、より一層大切にしていきたいと思いました。ありがとうございました。


宮坂 敦子 さん

今回の「大正・昭和初期」のジュエリーは、日本人の「飾る心・センス」がまた一つ昇華した実例を見た思いで非常に興奮しました。
ファッション面では「明治時代は入ってきた異国のセンスを日本人はまだ咀嚼できず、真似ごとばかりだった。
大正〜昭和初期になると、異国のセンスを日本人なりに咀嚼し、昇華させた。
だから着物の柄も各段に面白くなる」と言われています。
その実例が指輪にもあったかと嬉しくなりました。
アール・ヌーヴォーやアール・デコの影響をばっちり受けながらもどことなく日本のもの感がある指輪のデザインや仕立ては着物にもピッタリだったと想像します。
ねじ梅や菊爪といった石の留め方にも関心しました。
また、指輪は見るのと嵌めてみるのとではずいぶん印象が変わるものですが、これらの指輪も実際に嵌めてみると(意外に華やかだな、存在感があるな等)印象が変わり、きっと当時の女性もそんなことを思いながら試着したんだろうなと思いを馳せました。
たいへん貴重なコレクションをハンドリングさせていただき、ありがとうございます。


岩崎 望 さん

大正から昭和初期の貴重な指輪を手に取ることができ、ありがとうございました。
これまで指輪をじっくりと見る機会がありませんでした。今回、様々な指輪を拝見し、石の美しさが出るように止め方などが工夫されていることが理解できました。
戦争中の指輪からは、高価な素材でなくても様々な思いを込めて身につける人の姿が浮かび上がりました。身を飾るだけではない装身具の別の役割が読み取れました。
銀座の資生堂ギャラリーで8月21日まで(15日休館)、「石内都展 Frida is」が開催されています。フリーダ・カーロの遺品の指輪5点の写真が展示されています。指輪をはめているカーロを思い浮かべると感慨深いものがあります。


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