研究会、ゼミ概要

主宰者より

研究会参加動機

ゼミ日程(2018年)

装身具ハンドリング作品

ゼミに参加して

ジュエリー文化史サロン・特別講演会

論考・研究レポート・エッセーなど

文献資料

参考:伝統装身具ネット図鑑

会員へのお知らせ

会員限定ページ

日本の装身具ハンドリングゼミ 第7回

ここでは、会員のゼミでの感想や気づいた点、意見などを掲載します。


角元弥子さん

明治初期の、和装用装身具をハンドリングさせていただきました。
使われている素材や、その時期に日本を訪れた外国人による著作によって、時代特定ができることが解りました。

以下、特に印象に残ったものについての感想です。

12-4-3 開閉式簪

小ぶりで愛らしいデザインです。
開閉式の蓋の裏側には「十七」と彫られていて、数え年で17歳の未婚の女性に贈られたものではないかと思います。
ただ、相手の名前や思いを伝える言葉ではなく、年齢を刻んで贈るのは少し違和感もあります。

ゼミ後、「十七」に別の意味がないかと調べてみました。
江戸時代には飛脚屋のことを「十七屋」を言ったそうです。十七夜は別称「立待月」、それを「忽ち着き(すぐに着く)」と読み替えたそう。
この場合、簪があまりに可愛らしくて、飛脚屋のイメージとは重なりませんが、ただの数字にも別の意味を持たせる洒落の感覚は面白いと思いました。

真鍮の生地に、漆で細かい柄を描いて焼き付けてあるようです(焼付けによる塗料の収縮痕があります)。
花の中央と耳かき部分には、さらに金属粉による蒔絵の加飾がされています。
塗料の剥離はほとんど見られず、大切に使われたか保管されたと思われます。
ちなみに12-4-7 の琥珀玉のかんざしにも、同じ漆の焼付け技法で柄が入っていました。

12-3-1 鳥モティーフの櫛

櫛歯のパーツ上部には端から端まで溝を切ってあり、別パーツの鳥のモティーフが真鍮枠と櫛歯の間に挟まっておりカタカタ動きます。
露木先生のお話では、量産されたものらしいとのことでした。
最初は、鳥のモティーフが他のものと取り替えて楽しめるように作ってあるのかと思いましたが、櫛歯とその上のモティーフ部分を分業製作して効率化したものではないかとも思えます。

そう考えると、この櫛が、安くたくさん作るため分業などの効率化の果てに、自動化できない労働集約型の工芸品がどんどん廃れていく、歴史を物語るものに思えてきます。

あとは鳥に嘴が描かれていないのが図案としてかなり不自然で、気になっています。

以上です。



青木千里さん

今回のハンドリングで印象に残った事は、子ども用の花櫛、花簪が思いのほかデザインや作りにごまかしが無く美しいものだったことです。
明治とはいえまだ裕福な家など一部の階層向けだったのでしょうが、どんな場面で使われたのか考えてみたくなりました。

他には、鞘付き簪の品の良い美しさ、可憐な模様に彩られた丸玉が割れて中に牡丹の花が隠れている簪に心惹かれました。
こういう粋な味付けは作者だけのアイデアなのでしょうか。
買い手、店、職人、全員の息の合った共同作業なのでしょうか。


宮坂敦子さん

明治前期の装身具は江戸時代の装身具以上に個人的に興味がある分野ですので、とても楽しみにしていました。
「特許」の刻印があるかんざし、「萬久」の広告など今につながる事項の片りんが見えて、興味深いです。
「方位磁針」のかんざしがありましたが、 『黄金の羅針盤』というイギリスのファンタジー小説の中に、 母親から子供へ、間違った道へ進まないようにプレゼントするというくだりがありました。
西洋では、こうした贈り物としての意味が方位磁針にはあり、それが日本にも伝わっていたのかもしれませんね。


植田友宏さん

丁度家業であるウエダジュエラー(当時は植田商店)が創業する直前の頃の時代、明治前期。日本の錺職人は廃刀令によって職を失った刀装剣職人がルーツと聞いていたが、12-9-2の初期のパチン留、12-9-3の目貫風パチン留を見、その経緯がよくわかった。パチン留は箱をしっかりつくり、きっちりとズレ無い様な構造にする為に精巧なつくりにしなくてはならず、異なった合金を貼り合わせる、彫のクオリティー等、誇りを持った刀装剣職人達が生きて行く為に苦悶し、商品化した工夫が見られる。

江戸末期の流れでモチーフも多様だが、明治維新後和装から洋装に変わる時代の混乱期を装身具から見てとれる。また素材もセルロイド、模造べっ甲、模造サンゴ等を使用する等新しい素材を素早く取り入れる柔軟性と、模造でもお洒落をしたい、と言う当時の女性の貪欲さを感じる事が出来る。

三井記念美術館で開催された「明治工芸の粋」展では加納夏雄、海野勝a、正阿弥勝義等の名工達の仕事に驚嘆したが、銘が入っていない、庶民が日常身に着けていた櫛、簪、笄等の見えないところまで細部にわたり細工にこだわる美意識や、モチーフと素材の多様性、遊び心など江戸から続く「粋」の精神を感じる事が出来た。

今後は村松万三郎が明治24年にプラチナの溶解に成功してから約30年で小さな蔵の美術館に展示してある、ミキモトさんが立派なティアラをつくっていた様に、どの様にして和装の刀装剣の技術が洋装の錺の技術に転用されて発展していったのかについて研究したいと思っております。

最後に100年以上前の繊細な貴重な資料を惜しげも無く細部まで手に取り、見せて頂ける機会を大変有難く感じております。


河野英理さん

今回のゼミは『明治時代前期の装身具』、鎖国を解いた日本の装身具がどのように変化したのかと、私にとってはとても興味のあるところだったので、楽しみにしておりました。

今回、印象的だったのは、可愛らしさ。

今まで見せていただいた江戸時代のものは、どちらかというとすっきりとしたデザインのものが多く、豪華な絵柄が入ったものでも印象的には『粋』、『洒脱』。

今回見せていただいた明治前期のものは、デザイン、形、大きさも含めて、全体的に『可愛らしい』ものが多かった気がしました。

特に可愛らしくて印象的だったのは、少女用の立体的な花の付いた挿し簪と、丸玉を開閉すると象牙の牡丹が隠れている簪。

個人的に好きだと思ったのは、12-4-9 の鞘付き簪。素材は、銀と四分一でしょうか、一部金けしと象嵌が施してあって、すっきりとしている中にも趣味性の高さが伺われ。細身だが重量感もあって、とても存在感がありました。

もうひとつは、12-4-5 の方位磁石付簪。西洋の新しい物好きの婦人が使っていたのでしょうか、個人的に懐中時計鎖用の方位磁石が好きなので、興味のあるところでした。

ゼミに参加させて頂いていて思うのですが、『三人寄れば文殊の知恵』ではないですが、人によって様々な見方や知識などがあり、毎回のように何か新しい発見があって、凄いなと。

これからも、どんな新しい発見があるのかと、次回以降を楽しみにしております。

※露木より―
本当に「三人寄れば文殊の知恵」ですね。
私も今回は楽しかった。
皆で学び研究することの醍醐味を味わいました。


岩崎望さん

笄(図12-3-4下)の特許について皆さんにお知らせいただき、ありがとうございます。
特許を確認しましたが、全部で2頁でした。漢数字の2頁目は不明です。

特許番号が分かっていたので、調べることができました。特許番号に気がつかれた方は凄いですね。


小岩佐千子さん

全体的に時代と供に花やかになっていっていると思いました。

個別に印象に残ったのは、12−4−5 方位磁針の簪です。

昨年11月に行われたゼミでも方位磁針の簪が登場した時、印象深く記憶に残っていました。

鳥と雲と方位磁針のモチーフは旅。女性の装身具にこのようなイメージが採用されるのは女性も開かれた世界、異国へあこがれを抱いていたことを伺わせ、幕末から明治時代の空気感を現していると思いました。


八向志保さん

今回は明治前期ということでしたが、江戸時代の士農工商などの身分制度が明治時代にはいり市民平等となり、散髪脱刀令などを受けて各身分制度における服装のしきたりが少しずつ弱まっていったことなどの影響や、開国したことによる自由な雰囲気を少し反映したような装身具が多かったように思います。

砂金石を使ったものや、コテなどの新しいデザインが印象的でした。制度の改定や新しい制度の導入などのタイミングと装身具との関係をもっと見てみたいと思いました。


鈴木はる美さん

8月9日の「ジュエリー文化史研究会」では、興味深い多くの作品を拝見しました。
珊瑚・洋箔・貝片の前差簪は可愛く、どんな場面に子供が付けたのだろうか?と関心が湧き、 江戸時代の情調を美しい木版画にした山本昇谷の作品から、よく似たものを探しましたので、感想に変えます。

「今すがたーおどり」 山本 昇雲(別名・松谷(しょうこく))高知県立美術館蔵


小宮幸子さん

今回のハンドリングで感じたのは、江戸から明治時代の日本において簪は、ヨーロッパにおける指輪に相当する存在だったのではないかということです。装身具の中でも一番身近なものであり、意匠も、そこに込められた意味も実に多種多様だからです。印象に残った作品は以下の2点です。

飾り部開閉式簪(図12-4-3)

飾りの玉の下のつまみを開けると牡丹の花が現れるという仕掛けにまず驚き、牡丹の細工の細かさと繊細な色付けの愛らしさに心を奪われます。内側にある「十七」の刻印は、お誕生日か婚約、結婚など、何かお祝いの印として十七歳を迎えた女性に贈られたことを示しているのでしょうか。
ヨーロッパにはこれと似た構造で、中に香料や気付け薬を入れて使う「ポイズンリング」があることを思いだしました。

方位磁石付き簪(図12-4-5)

簪に方位磁石という取り合わせは、現代の私たちには大変斬新に映ります。当時も、新しさの象徴だったのかも知れませんし、正しい方向を示してくれる、というラッキーモチーフであったのかも知れません。
周りの装飾はツバメと雲だと私は考えます。ツバメが空高く飛ぶときは晴れになると言われますし、ツバメは幸運や商売繁盛のシンボルです。また渡り鳥であるツバメが春になると同じ土地へ戻ってくる習性から、旅の安全祈願や、迷いのない人生を願う意味もこめられていたのではないでしょうか。


石井恵理子さん

散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする
明治4年の「散髪脱刀令」が出た時に
男性だけでなく断髪する女性も現れた とのこと
少数派でしょうが 髪は女の命 ですから
髪を愛する多くの女性はびっくりした事でしょう
もっとびっくりしたのは小間物屋で
危機感をも覚えたのではと思います

実際にはモガから女性の短髪が増え始めたようですが
私の中ではローマの休日の髪をバッサリ切るシーンが
日本女性が簪から一歩前へ進んだ気が致します

前置きが長くなりましたが
今回のハンドリングで一番に感じたことは
個人的に心惹かれたのが 
12−4−3 飾り部開閉式簪 でした
珠は小さく奥ゆかしさを感じる印象ですが
仕掛けを開けて出て来た象牙の牡丹は
まるで和菓子のような薄桃色に着色され
品よく納まっている姿は本当に可愛らしく
また隠れたところに趣を置く日本人らしさを
感じざるを得ませんでした

このような作品に出会う度に
どんな女性が着けていたのだろう
誰からの贈り物かしらと気になります

露木先生は このころの女性は自分へのご褒美
的な買い物は無いとおっしゃっていたので
やはり 旦那さんか若しくは親御さん
またはお妾さん  いえ 
この雰囲気の簪は
生娘が嫁ぐ日に 父親が贈った物ではと想像しました

手塩にかけて可愛がった我が娘
その箱入り娘を牡丹に見立て
大切に大切に珠の中に納め
昔のことですから実家に早々帰れない環境で
嫁ぎ先で親を想ってそっと手の平で開けてる新妻を
思い浮かべました

ひとつひとつの作品にストーリーがあり
それを想像するだけでとても豊かな気持ちになります
次回の講座も楽しみです


中村園子さん

明治という時代に入り、文化や習慣に変化がおきることによって、外国の人や物に影響を受け、かなり幅広の帯締めや方位磁石のデザインなど、ファッションに対する考え方が自由になってきたように思う。

方位磁石の付いた装身具は、何に使われるか関係なく、珍しいということで飾りとして付けていたと思うと、新しいものを取り入れていく姿勢は昔も今も変わりなく、未来も新しいものを自分なりに取り入れていく気質を受け継いでいることは、閉塞感のある今の時代の一つの希望である。

今回気になったのは、飾り部開閉式簪(蓋を開けると象牙の牡丹が入っている簪)で、自分だけが知っている、密やかな喜びが日本人らしい感性だと思った。

作りの面では、廃刀令で彫金師が装身具を作るようになり、装身具のクオリティーが上がると共に、今までの装身具職人(飾り職)の腕も競争し、工夫することによって上がっていったのではないか。
激動の時代が、更に装身具のデザインの幅を広げている、興味深い時代である。


小澤一樹さん

昨年、初めて参加させていただいた時に拝見した江戸後期の装身具は、べっ甲や柘植などといった天然素材を加工したモノが殆どでしたが、近代になるにつれ、 金属と象牙、サンゴなどが組み合わされるものが増えたと感じました。
装飾品にとって技術や産業の在り方が、いかに大きいかを改めて考えさせられました。
また資料写真で見た、かんざしや帯留めを、その精緻な作りから勝手に大きなものを想像しておりましたが、実は小さなものであったりと、実際に目にすることがいかに大切かを、改めて知りました。
ありがとうございました。


和田実穂さん

明治に入り、“髪飾り”も成熟期を迎え、“より繊細な方向”と“洗練されたシンプルな方向”に2極化して来たように思いました。
私個人としては、細やかな細工に驚きを覚えつつ、シンプルで力強いデザインに、より心惹かれるようです。

【図12-3-1上】具象彫刻棟飾り櫛 銀杏の抱き合わせ模様
銀杏の葉の曲線が明快で力強いラインを構成し、櫛の形状ともピッタリと合った、完成度の高いデザインだと思いました。
和風でありながら、モダンな一面もあり、現代でも十分使えそうに思います。
当時も、多くの人に共感を得たデザインだったのではないでしょうか。

【12-4-6】道具簪“こて”について
かなり道具然とした外観だったので、これを髪に飾るという感覚に少し違和感が残っていました。
調べたところ、当時の裁縫道具の“鏝火熨斗・こてひのし” (炭火で先端を加熱して使用)と呼ばれるものに、
かなり小型の物もあったようで、似た形状のものが見受けられます。

なので私見ですが、本来は、木の柄が付いた実用の道具だったのでは?と思った次第です。
江戸時代から、つまみ細工等、絹ちりめんを使った細かい細工もあったようですし、それらの道具だったかもしれません。
又は、使っていた道具の形の面白さに、仕立て屋の娘が髪にさしていたのかもしれません。
正解はわかりませんが、色々考えると面白いです。

【参考】
“鷹道具”の紹介ですが、鷹匠専用の道具ではない“一般的な小型の焼鏝”として似たものが見受けられます。

“鏝火熨斗・こてひのし”の紹介(少し大きめで、新しいものですが)

個人の方が落札した用途不明の道具



Copyright(C)2013 Jewelry Cultural History Study Group All Right Reserved